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日々の疑問を綴っていきたいと思います

自殺と輪廻転生と反出生主義

タイトルからやべー奴臭が漂ってきますが、私はやべー奴だけどやべー宗教やってるわけではないです・・・。無宗教です。ただ思ったことをダラダラ書き連ねていきますよ。


~自殺って物凄くエネルギー消費しそう~

夏休み明けの前後に学生の自殺が増えるというのはよく考えると凄いことだなと思う。
私は幼稚園児の頃から今日まで死にたいと思わなかった日は1日も無い筋金入りのメンヘラですが自殺を実行したことは1度も無いです。だって怖いじゃん。痛いのとか苦しいのとか血とか苦手なんだもん。それに上手に死ねなかったら後遺症が残って他人に迷惑かけるかもしれないし。
だからそういう大人でもビビってしまう恐怖を十数年しか生きていないような子供たちが乗り越えてしまうという事実に驚いたんです。

私はおバカなので、どっさり出された夏休みの宿題ドリルの回答欄をあまり埋めることが出来ずに結局提出しないまま卒業を迎えたこともありました。宿題をサボったわけじゃないんだけどね、ちょっとアレな家庭だったので親には聞けないし当時はインターネットなんて限られた家庭でしかできなかったし、喘息持ちで空気が少量しか吸えず常に酸欠状態で頭が働かなかったから教科書理解できなかったし。(喘息って見た目は健康そうに見えるから他の人からは怠けてるように見えるんだよね、いつ死んでもおかしくない病気なんだけど。)言い訳ばかりしている自覚はありますとも。
夏休み明けからの学校生活は宿題を提出しなかった罪悪感を抱えたまま卒業の日まで本当に地獄のような日々を送ったので”死”に逃げる子供の気持ちはよくわかるんです。子供にとって、学校が自分の世界の全てだから。学校でいじめられたり居心地悪いと感じると自分の居場所がどこにも無いような感覚になる。
大人になった今は、なんで宿題を提出しなかったくらいのことであんなに悩んでいたんだろう?って気持ちなんですけどね。学生時代の悩みって社会人になってから考えるとどーってことない悩みばかり。でも学生の生活の場は主に学校だから、その学校で嫌なことがあるのは死にたい程にしんどいと思う。自殺したくなる気持ちは非常によく理解できます。
きっと世間への復讐の意味もあるのでしょうね。電車飛び込みなんかは「いま線路に飛び込んだら楽になれるかも」と線路に吸い込まれるように飛びこんでしまうという話も聞きますが、これも結果的に大いに世間に復讐していることになりますよね。

人生が30~40年くらいで終わるのなら「がんばって生きてみようかな」って気持ちになれるかもしれないのに、実際は”人生100年時代”

あまりにも長すぎる。若さや美を失った状態になっても更にあと何十年も生きなきゃいけないなんて嫌だ。

 
~もし輪廻転生があるのなら~

この世が辛くて自殺しても、魂が永遠の存在だったとしたら。もし本当だとしたらこれほど残酷な事は無いのでは。
私には特殊能力は何も無いので死んだ人の魂がどうなるのかはまったくわかりませんが、特別な能力を持った人たちが『あの世はある』『魂は生まれ変わる』と口をそろえて言っているところを見ると「死んでも別の肉体の器に魂が宿るかもしれない」という可能性は頭に入れておいたほうがいいように感じます。
死んだら全くの”無”の存在になれるなら今すぐにでも無になる事を望みますが、なんとなく魂は永遠に存在し続けるような気がしてならないんですよ。人の意識?魂?ってあまりにも精巧に作られすぎているように感じて、それが肉体の機能が停止した程度のことで本当に無になれるのかな?と。
今より酷い環境に転生してしまう可能性があるのでうかつに自殺しないほうがいいように思います。
人の人生は残酷なほどに産まれた家庭・国・環境に左右されるので。これは事実です。こういう事を言うと「そんなのは言い訳だ、どんなに貧乏な家庭で育っても努力する人は成功する」と言ってくる人が必ずいますがそういう事を言う人は私は思考停止した人だなと思っています。努力した人は成功する、これは事実でしょうね。でも人間皆努力すればなんとかなるものではないし生物には個体差があります。
盲目の人に「おまえが目が見えないのは努力しないからだ」紛争地の子供に「おまえがこの環境から抜け出せないのは努力が足りないからだ」と言っているのと同等の凶悪さがあります。
窓も無い、空も見えない、何もない部屋に閉じ込められて外の世界を知らずに育った子供がいたとしたら、空がどんな色なのか想像もできないと思うし、ここから逃げ出そうという思考すら育たないでしょう。人間は自分の周囲の環境や接した人々などから様々な情報を拾い上げ、インプットしたり応用したりするので、やはり環境に恵まれるかどうかで人生のだいたいの基盤が作られるのではないでしょうか。本人の努力をどれだけ相乗していくかというのはその基盤が作られてからの話になるのではないでしょうか。
良い環境で育った政治家のおじさん達に庶民がどんな暮らしをしているのか想像できないのと同じですよ。
スピリチュアルの世界では「子供が親を選んで産まれてくる」と言われていますが、本当なのかはわかりませんが虐待されて殺された子供に失礼な考え方だよな、と心がモヤモヤします。

話が逸れましたが、寝ている時間って幸せですよね。あんな感じでずっと無の状態でいられるなら幸せ(無なら幸せを感じる必要もない)なのに、死んだらまた人間レベル0からやり直さないといけないなんてあんまりじゃないですか。

 
~私は反出生主義者です~

こういう考えって一般的にタブーとされていますよね、反出生主義者の私は肩身が狭い・・・

はい、産まれないことのメリットです!
・学ばなくて良い
・働かなくて良い
・悩まない
・恥をかかない
・あらゆる欲が湧かない
・他者の命を奪う必要が無い(食事)
・病気で苦しまない
・税金支払わなくて良い
・災害に巻き込まれない
・争いに巻き込まれない
・理不尽に他殺されたりはしない
・死の恐怖を感じない
etc.

良いことばっかりじゃないですか。なんでみんな子供産むの!?
そんなに自分の遺伝子残したいの?ナルシストなの?才能や美貌を持っているならまだしも、貧乏人も不細工もみんな必死になって遺伝子残そうとするのはなぜ?
世界には頭の良い人がたくさんいるのに、どうしてこの真理に気付かない人が多いの?

いま生きている人全員滅びろと言っているわけではないです。
生まれてしまった以上は自分も含めてなるべく苦しまずに生を全うするべきだと思いますしそう望んでいます。
命は全て平等に尊いものだと思っています。
生きている以上は楽しいことが必要。漫画読んだりゲームしたりおいしいモノ食べたり遊びに行ったり趣味に没頭したりしないと仕事して寝るだけの人生になっちゃいますもん。
でももし自分が生まれなかったら、無だったら。楽しいことを楽しいと考える必要が無いのです。それって魂が心の底から望んでいる究極の無の状態なのではないでしょうか。

新たに生み出すより、いま生きている命を大切にするべきという考えも持っています。
余裕のある人はどんどん里子引き取って家庭の温かさを教えてあげたらいいと思う。自分の遺伝子じゃないと嫌だという理由が私には理解できません。そういうものなの?
だから友達に「赤ちゃん産まれました」って報告されても「こんな時、どういう顔をすればいいのかわからないの」としか言えない。私にとっては 出生=絶望の だから。

地球上の生物がゆるやかに絶滅することが理想なんですけど、ムリでしょうね。
さっき書いた通り、もし輪廻転生があるとしたら 死んでも魂はまた肉体を得てしまう可能性があるので私としてはなんとしてでも絶滅の方向へ向かわせたいんですけど。
もう産まれたくないよ、疲れたよ~!

でももし地球以外に生物が存在する星があったら、そこに転生する可能性もあるので結局地球が滅んでもこの悩みは永遠に終わらないのかもしれません。
もう宇宙そのものを壊すしか方法が無いのかも。宇宙を無にする発明を遠い未来人に託します(他力本願)。進歩しすぎた技術が全てを無に帰すなんて、考えただけでもワクワクします。